2006年09月01日
近藤勇辞世之句
私は会津の出身のため、新選組には当然思い入れがある。
しかし、会津の歴史や新選組に興味を抱いたのは、三十半ばを過ぎてからであり、書籍によって新選組が会津藩のお抱えだということを知ったのだった。また、会津若松市内には、土方歳三が懇立したのではないかとされる近藤勇之墓があることを知り、是非尋ねてみたいと常々思っていたのだが、それが8/12に漸く実現した。
近藤勇之墓のとなりには土方歳三の慰霊碑が仲良く並んでいた。
以下、近藤勇の辞世之句であるが、土方とともに会津に来ることが出来なかったた時点で、
既に、一死をもって会津藩主松平容保の恩に報いようと考えて死処を探していたのだろう。
孤軍援絶作俘因 顧念君恩涙更流
一片丹喪能殉節 雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺劍 只将一死報君恩
帰りに、名物「野郎ケ前」の田楽を久しぶり味わい、翌日テンカラ竿を振る予定である湯川の様子を見てから実家へ戻った。
しかし、会津の歴史や新選組に興味を抱いたのは、三十半ばを過ぎてからであり、書籍によって新選組が会津藩のお抱えだということを知ったのだった。また、会津若松市内には、土方歳三が懇立したのではないかとされる近藤勇之墓があることを知り、是非尋ねてみたいと常々思っていたのだが、それが8/12に漸く実現した。
近藤勇之墓のとなりには土方歳三の慰霊碑が仲良く並んでいた。
以下、近藤勇の辞世之句であるが、土方とともに会津に来ることが出来なかったた時点で、
既に、一死をもって会津藩主松平容保の恩に報いようと考えて死処を探していたのだろう。
孤軍援絶作俘因 顧念君恩涙更流
一片丹喪能殉節 雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺劍 只将一死報君恩
帰りに、名物「野郎ケ前」の田楽を久しぶり味わい、翌日テンカラ竿を振る予定である湯川の様子を見てから実家へ戻った。
Posted by tobitani at 11:01│Comments(0)
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